2020.05.14

第42回 獣医麻酔:甲状腺機能低下症の麻酔管理②

【甲状腺機能低下症の麻酔】

 

猫では甲状腺機能低下症はまれであるため、基本的には犬における甲状腺機能低下症について記載する。

臨床症状は成書を参考にしてほしいが、麻酔管理の上で考慮すべき徴候としては心拍数の低下や低体温などが問題となる。

まれではあるが粘液水腫では気道閉塞や低ナトリウム血症、重度徐脈、低体温、全身浮腫を呈する。

この状態で麻酔をかけることはまずないが、甲状腺機能低下症に伴う心血管系や神経系に異常を認める場合には、麻酔関連死亡の原因となる。

 

 

<術前検査>

貧血:軽度の正球性正色素性貧血

酸素運搬量低下:貧血+麻酔による低血圧など

体重増加や肥満

換気応答は低下する:麻酔中は高二酸化炭素血症になりやすいかもしれない

高脂血症による粥状動脈硬化

肺コンプライアンス低下、気道抵抗増加を合併すると厄介かもしれない

換気血流不均衡に注意

血液検査所見で直接麻酔と関係がある項目としては、貧血がある。

甲状腺機能低下症の28~44%で軽度の貧血が認められると報告されている。

慢性的な貧血であれば大きな問題は生じないことが多いが、麻酔による低血圧、低拍出によって酸素運搬量は減少する。

麻酔によって酸素消費量も減少するため、この酸素運搬量低下がどこまで問題を起こすかは定かではない。

しかし、頭では酸素運搬量が下がっていることも考慮した循環管理が求められる。

甲状腺機能低下症と診断された犬での問題点は、体重増加や肥満、換気応答の低下などによって呼吸系に及ぼす影響が比較的多いことである。

しかし、肺機能を術前で評価することは獣医療では難しい。

たとえば術前に血液ガス分析をすることも一つの方法であるが、おそらく異常を検出することはほとんどないと思われる。

どちらかと言えば、甲状腺機能低下症だから麻酔を注意するというよりも、肺のコンプライアンスが低下するような疾患や気管抵抗を上昇させる疾患で、換気や換気血流不均衡が生じる疾患に麻酔管理することになった際に、その症例が甲状腺機能低下症を合併していた場合には、換気応答の低下や肥満や体重減少が、コンプライアンスのさらなる低下と換気血流不均衡がより悪化する可能性を秘めている。

 

 

また、β受容体のダウンレギュレーションなどによるカテコラミン反応性低下をひき起こすことから、術前の血圧や心拍数、体液量評価を怠らないほうが良い。可能であれば、覚醒下の心機能評価を超音波検査によって明らかにしておくことは重要である。

 

 

さらに心拍数低下や聴診でリズムに異常を認めたら、心電図検査も実施すべきであろう。

実際に、甲状腺機能低下症で生じる不整脈は徐脈だけではない。粥状動脈硬化や心筋低酸素のよる房室ブロック、心室性期外収縮、心房細動などが報告されている(Feldman EC, et al. 2004. Canine and Feline Endocrinology and Reproduction.3rd ed. St.Louis:Saunders. Scott-Moncrieff JC.2007. Vet Clin North Am Small Anim Pract37:709-22)。

 

 

 

 

腎機能にも注意が必要とされている。

甲状腺機能低下症の犬では糸球体ろ過量の減少が指摘されている(Williams TL, et al. 2010. J Vet Intern Med 24:1086-92)。

麻酔によって低血圧が生じるともともとの甲状腺機能低下症にさらなる腎血流の低下が生じ、術後腎不全などを引き起こすこともある。

しかし、腎機能に注意が必要なのは、どの疾患でも同じである。

 

 

 

血圧に関しては、いくつか注意が必要である。

甲状腺機能低下症の犬では、血液生化学検査で高コレステロール血症と高トリグリセリド血症を認めることがある。

いわゆる脂質代謝異常で粥状動脈硬化を引き起こすことがある。

犬では甲状腺機能低下症の中でわずか0.5%ではあるが、中には罹患している犬もいることを忘れてはならない。

この問題点は、全身血管抵抗の上昇を引き起こすこと、血管のコンプライアンスが低下することなどがあるが、術前の絶飲食、年齢による水分量の減少、血管内コンプライアンスの低下による循環血液量減少などによって、輸液による血圧上昇効果は高いが、その容量は制限されるため、酸素運搬量、血圧、体液量をバランスよく管理する必要が出てくる。

 

 

 

<甲状腺機能低下症症例に麻酔するときの麻酔薬選択について>

基本的に禁忌となる薬剤はない。

したがって、症例の手術内容に合わせてオピオイドを選択したり、局所麻酔薬を併用すればよい。

 

前述の通り、甲状腺ホルモンは心血管系に影響を及ぼす。

特に心拍出量低下や代謝活性低下による薬物代謝遅延などが一般的には問題とされる。

したがって甲状腺機能低下症では麻酔薬や血行動態に大きな変化が起きるとされている(Morgan GE, et al. 2006. Clinical Anesthesiology. 4th ed. New York; McGraw-Hill)。

 

 

したがって、薬物代謝の観点からはレミフェンタニルは使用しやすい。

ほかのオピオイドを使用する際には局所麻酔薬などによる神経ブロックを併用し、オピオイドの使用量を軽減できれば、フェンタニルやモルヒネなども選択肢となり得る。

そのうえでオピオイドは安全性が高い薬剤でもあるので、覚醒遅延が気にならず、きちんとした術後バイタルチェックができるのであれば、前述の通り、絶対的な禁忌はないと考える。

 

 

甲状腺機能低下症の麻酔では、一番に問題となりやすいのは低体温であろう。

この低体温は一度下がってしまうとなかなか上昇させるのは難しい。

低体温の問題点としては、凝固障害やカテコラミン反応性の低下、難治性低血圧などが生じる可能性がある。

さらに、低体温時にはフェニレフリンによる血管緊張低下やカルシウムチャネルブロッカーの反応性増強などの問題点も生じるため、低体温は積極的に治療したい。

 

 

ベンゾジアゼピンやオピオイドを前投与し、プロポフォールの投与量を減らすことが重要である。

 

 

これによって心血管系や呼吸器系への影響を最小限にすることができる、

 

 

と様々な教科書では散見されるが、

実際のところ、

ミダゾラムとプロポフォール、ミダゾラムとアルファキサロンで麻酔導入した場合、プロポフォールおよびアルファキサロン単独で麻酔導入した場合と比較して、投与量は軽減できるが、心血管系への影響に差はなく、呼吸抑制は併用した群のほうが強いといった報告も存在する。

 

やみくもに混ぜればよいというものでもない。

大切なのは、気管挿管に必要な意識消失・鎮痛・筋弛緩を得ることであって、これはすべての症例で同じである。

状態が悪い症例にはプロポフォールなどの導入薬を減らした方がよいというありきたりな発想はなくてよい。